「顔が命」

「大きく光れ。佐々木大光。」

「生きててくれて、ありがとう。」

始めに。この投稿は、自分自身の話しになります。治療に専念する為、暫くお休みする事をご理解のうえ、お読みいただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大光さん、長い間たくさんの夢を叶えてくれて、ありがとう。悔しい事もたくさんあったな。まぁ今となっては笑い話にできるけど、当時は若かった大光さんを見て、心配で心配でなりませんでした。

でも楽しかった記憶の方が、今鮮明に蘇ってきます。本当に本当に楽しかった。

 


「狂犬」なんて呼ばれる様になり、あぁ、佐々木大光の時代がついに来たな……なんて嬉しい気持ちだったりして。でも凄く繊細で考え込んでしまうタイプだから、時に心配な事もたくさんありました。大丈夫かな、という私の心配をよそに、それでも頑張り続ける姿をみて、どれだけ勇気を貰った事か計り知れません。

 


自分が挫折を味わった経験をも糧にする。同じ境遇の人を救いたい、気持ちが分かる、とそう言う大光さんは、本当に強い。痛みをも武器にする。自分ではない誰かの為に。そう思って発する言葉や言動がごく自然に出てくるのは、そう簡単には出来ない事。そんな大光さんが発する言葉や言動に、どれだけ救われた事か。アイドルとかではなく、もはやひとりの人間として尊敬できる。私より遥か年下だけど、教えられた事がたくさんありました。

 

 

 

パフォーマンスは、言わずもがな。ダンスで魅せる。ドラムで魅せる。お芝居で魅せる。大光さんが作り出す世界観が大好き。心に語りかけ、時に感動さえ覚えた。それでも尚、向上心を持ち自分はまだまだ…と謙虚で。努力する姿は見せたくないと言いながらも、きっと私の言葉では言い表せない程、努力を重ねてきたんだろうな。そして必ず次に繋げる。努力が形となり、実を結ぶ。たくさんの新しい景色を見せてくれて、ありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

大光さんには嶺亜さん、克樹、琳寧、ばなさん、今ぴ、大切なメンバーがいます。そして優斗と大昇、大好きな同期がいます。たくさんの先輩と、たくさんの後輩がいます。そして家族がいます。そしてそして、たくさんのファンがいます。みんな、大光さんの味方です。ずっとずっと、味方でいます。だから、何があっても大丈夫。大光さんは、大丈夫。

 

さぁ、大光さんに、「生きててくれて、ありがとう」と言ってもらえるよう、私は、生きます。

 

 

 

 

 

 

そして友達へ。

 


神戸公演で何人かにはこれが最後とお伝えしましたが、言えなかった方、本当にごめんなさい。驚かせてごめんなさい。

千穐楽が最後と決めてましたが、対バンまでなんとか持ちました。死んでもジャニヲタ笑  いや、死なねぇし。デビュー見届けるまでは、死なねぇ。だから、生きるよ。まぁ、また戻ってきた時には、「ポエマー戻ってきたじゃん笑」なーんて、笑い飛ばしてくださいね。そして酒でも飲みましょう。対バンで会えた人、ありがとうね。会えなかった人、ごめんね。泣かせてしまった人、ごめんね。みんな、大好きだよ。

 

 

 

そしてフォロワーさんへ。

いつもマロくれたり優しい言葉をかけていただき、感謝です。ありがとうございました。特にここ数年では、大光担さんと絡む事も増えまして、本当に嬉しい限りです。もちろん、大光担以外の方もね。みんな、大光に似て、優しかった。本当にありがとうございました。病気のポストをして以降は、たくさん励ましていただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。顔も知らない、どこの誰かも分からない私に、優しい言葉をかけていただいて、本当に救われました。本当に頑張れます。また戻ってきた時には、お話ししてくれたら、嬉しいです。

 

 

 

病気と分かってから早1ヶ月。自分でもまだ信じられないというのが正直なところ。元気だし、仕事もしてるし、家事もしてるし、何らいつもと変わらない。でも人生が変わってしまいました。病気は待ってくれません。放っておいたら、死んでしまう。今は元気ですが、いずれ体力が落ち、見た目が変わり、痛くて辛い日々が待ってるでしょう。想像するだけで不安です。手術も怖いです。もし治らなかったら……考えない事もないです。なのでこの1ヶ月、1日1日を大切に過ごしてきました。当たり前の事が当たり前じゃない。こうして今生きてるって凄い事なんだぞ、って。そりゃたくさん泣きましたが、悲観的になっても病気は治りません。だったら、やりたい事をやり、会いたい人に会う。そんな日々を過ごそうと。そしてふと思い出すんです。「生きててくれて、ありがとう」。こんなにも大光さんの言葉が響くだなんて、想像してませんでした。大光ー!!わたし!!今!!生きてるよー!!!!!そう実感できました。私は生きたいです。必ず生きます。

 


でもなんで今なんだと。なんで私なんだと。悔しいし、悲しい。あぁ、もっと応援したかった。ずっとずっと見ていたかった。大光さんのパフォーマンスを見ていたかった。心に語りかけるダンスを見ていたかった。全身全霊のドラム捌きを見ていたかった。舞台の神様が舞い降りたお芝居を見ていたかった。現場に行ってキャーって言いたかった。大光かっこいいー!って言いたかった。痺愛と酒飲みながら侍最高ー!って言いたかった。ホールツアー、行きたかった……いつか来るであろうデビューを、この目で見届けたかった……もっと、もっと……。

でも私が今やるべき事はここじゃない。ここじゃないんです。苦渋の選択ですが、致し方ない。暫くお別れです。だから、今までこうして過ごしてきたのは、当たり前の様で当たり前じゃない。なので、私が過ごした時間は本当にかけがえのないものでした。病気になってからそんな事に気付くなんて遅いですが、でも改めて貴重な時間を過ごしたんだなと、大光さんにも、侍にも、そして、痺愛にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当に本当に、ありがとうございました。

まぁ、そんなん私に言われなくても分かると思うかもしれませんが、私から言える事は、「推しは推せる時に推せ」。皆様、どうぞ悔いの無いようお過ごしください。

 

 

 

ただ、ここまで話しますと、大変悲観的な気持ちで去るって思われるかもしれませんが、大光さんに関しては、全くの心配もございません。だって、常に成長し続ける男じゃないですか。私が見ない間に、きっと一回りも二回りも、私が想像するより遥か大きく成長するんだろうなと。そんな大光さんに出会えるのが、本当に楽しみでなりません。

 

 

 

皆様もどうぞ、お体大切に、

そしてご自愛くださいね。

 

 

 

では、そろそろ。

 


大光さん、元気でね。

ずっとずっと大好きだよ。

さよならは言わないでおくね。

 

 

 

またね!!!!!

 

 

 

 


~完~

「フォーティンブラス」が、教えてくれた事。

 

 

 

「自分がバックダンサーだった時を思い出しながら」

 

 

 

 

この言葉から全ては始まった。「フォーティンブラス」という作品が、自分にとってはある意味集大成になるという事を。

 

 

 

 

 

3月1日。フォーティンブラス初日。無事に幕が開いた事に感謝……なんてそんな綺麗事すら言えなかった。私にとっては大変重い内容だった。パッとしない脇役、バックダンサー、でも情熱だけはある。

 

まるで大光さんそのものの様な。本人もそう仰ってたので頭では理解しつつも実際演じる姿を見ると、昔の大光さんを重ね合わせてしまう自分がいるのが正直なところ。観るのが辛かった。なんで辛いのかさえも分からないまま、それでも紀伊國屋ホールに向かう自分がいた。

当たり前に日々成長し、演技の間、目線や息遣い、感情、、、それは手に取る様に分かる程素晴らしかった。素晴らしい故、昔の大光さんを重ね合わせてしまう自分に嫌気がさした。私は何も成長できてない。大光さんが命削って役を全うしてるのに、私ときたら。作品は大好きなのに、余りにも現実と非現実を理解出来ない自分が、情けなかった。

 

でもその時はある日突然やってきた。東京公演終盤でしょうか。今日もまた重ね合わす自分。……しかしある台詞が聞こえてきた。「自分が消えるまで役を全うする」。その瞬間、佐々木大光というフィルターが無くなり、フォーティンブラス、そして、羽沢武年だけを見ることができた。まさに佐々木大光が消えた。当たり前に今まで耳にしていた台詞だというのに、なんてこった………今まで私が見てきたものは一体なんだったんだ……と嘆く暇なんてない。自然と羽沢武年を受け入れ、そして、羽沢武年と真っ向勝負をした、そんな感覚であり、台詞ひとつひとつが響くのである。最初は面白おかしく和春の言う通り、フォーティンブラスを演じていた羽沢だが、次第に自分の役はそうじゃない、和春の人生の舞台の主役は和春自身。そして実の息子である和馬。そして長い時間共に過ごした玉代。2人がいてこその和春の人生。自分はそこにいる人間では無い。まさに脇役に徹した。それでもフォーティンブラスの人生を全うする羽沢。時に厳しい言葉を投げかけ声を荒らげるが、そこには確かな信念がある。あら……どっかの誰かさんみたいだな。そして、フォーティンブラス・羽沢武年だけではなく、演者さん全員の台詞がグサグサ刺さってきたのだ。あぁそれはもう剣山を埋められた柱に頭突きするに等しい衝撃。ある意味それは「演劇の神様」がにっこりと微笑んでくれた気さえした。そして私のくだらない感情は消え去った。

 

そして、フォーティンブラス・羽沢武年だけではなく、ハムレット、オフィーリア、オズリック、そしてフォーティンブラスの父和春、そして玉代……全ての演者さんが主役になった。全員が主役。ここに辿り着くまでに随分と時間がかかってしまったようだ。申し訳ない気もちでいっぱいだ。やっとの思いでたどり着いたこの新しい気持ち、まさに今日が初日か、と、そんな感情さえ抱いた。もがき苦しみ、悩んで狂って死にてぇなぁ、なんて大袈裟かもしれないが、でもそのくらいの葛藤があったのは間違いない。でもそんな自分も受け入れよう。新たな道筋が見えた瞬間、過去の自分を受け入れることができた。どんな回り道をしても、失敗をしても、それで良いんだ。それで良かったんだ。まさに自分の人生を全う。人生の主役は誰でもない、自分自身。それでいいんだ。

「フォーティンブラス」が、そして大光さんが、大切な事を教えてくれたようだ。

 

 

無事に東京公演、そして神戸公演を成功させ、幕を閉じたのであった。

 

 

「佐々木大光、大義であった!!!!」

 

私は大光さんにこんな言葉を投げかけたい。見事に役を全うし、カーテンコールでなんとも清々しく溢れんばかりの笑みを浮かべるのは紛れもない、佐々木大光だった。フォーティンブラスでも、羽沢武年でもない、佐々木大光だった。

 

「努力する姿をみせたくない」と言っていたが、相当努力を重ねてきたに違いない。こうして努力を重ね、自信へとなり、そして次に繋げる。思い返せば、いつだってそうだったなとまた、感慨深くなるわけで。どんな経験をも糧にして、次に繋げる。無論、バックダンサーだった時代をも。あの日、あの時があったから、今に繋がってるんだよ、と。長い時間をかけて、そして、大光さんがアイドル人生をかけて、教えてくれた事。

さぁ、見事ゴールした大光さんは、きっと既に次のスタート地点に立っているのであろう。雄々しく胸を張り、勇ましい姿で、立っているのであろう。

 

そしてきっとこう言うに違いない。

 

「ここから始めるんだ。

未来を夢見て、

大きく羽ばたくんだ。」

 

大きく光り、

大きく羽ばたけ、

佐々木大光。

 

 

舞台「フォーティンブラス」に出会えた事に感謝。

 

 

 

そして、フォーティンブラスが自分自身の集大成となったのである。自分の人生の主役は、誰でもない、自分自身。そう、人生を全うする。ある決意を。時をみて、またの機会に。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐々木大光が、初代。

 

 

 

 

 

 

「少しでも見てる人が笑顔になったら」と言う大光さんはまさにいつも通りの大光さんで。いつだってそう。ドラムだけではなく、ダンスも、大光チャレンジも全てにおいてそう言う。まさに彼の根幹。

 

もちろんいつだって楽しいし、笑顔になれる。でもそれだけじゃない。大光さんの叩くドラムは、心揺さぶれる。感情が音ととなり、直接私の心に響くのです。感動すら覚える。私自身、音楽の知識なんて0に等しいですが、でも、それでも響くんです。

 

その裏にはきっと計り知れない努力や練習があったんだろうな。いつだかのMCで、掌に出来たマメがエグすぎて「これは見せられな~だって1500年に一度のアイドルだから笑 」なんて言ってたっけ。「努力するのは当たり前」とも言ってた大光さんの言葉を思い出してみたり。当たり前とは言え、でもそれが今こうして形になり、そして結果となった。

 

思い返せばその昔、黙々とステージの端でドラムを叩く姿が未だに忘れられなくて。「ダンスも得意だったから、もっと踊りたいってちょっとした反抗期もありました笑」なんて言ってたけど、でも黙々とドラムを叩く大光さんは、まるで職人の様で。確かに同年代はステージの真ん中でキラキラ衣装に身を包み、歌って踊って。そう思う当時の大光さんの気持ちも、分からなくもない。でもあの当時があるから今がある。いつも大光さんが言う様に、全ては通過点。昔があって今がある。

 

そんな大光さんが、今ではステージの真ん中でドラムを叩き、そして昨晩のドラム対決。全てはここに繋がってたのではないか。でもきっと大光さんの事だからこの経験をも通過点とし、先を見据えてる。いつだってそう。全ての経験を自分の糧にし、先を見据え、必ず次に繋げる。そんな未来が見える。佐々木大光の、そして7 MEN 侍の未来に繋げる。間違いない。

 

「ジャニーズで1番のドラマーにならなくちゃ」とジャニーさんに言われた当時13歳の少年が、20歳になり、堂々とした姿で、初代ドラムTEPPENに輝きました。

 

本当におめでとう。名前の通り、大きく光ってる。こんなに大きくそして逞しくなった彼を見て、誇らしい気持ちでいっぱいです。本当におめでとう。

 

 

 

2023.2.4

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

揺るがない「根幹」。

 

 

 

とあるマロを頂いた。「見る前から覚悟が必要だと思う」と。なんの事かはもうお分かりだろう。正直、私には覚悟が足りなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

一言で言えば、大光さんの全てが詰まっている。しかしながら、昔の話しをここまで詳しく話してくれたのは、初めてではないだろうか。1年に1回くらい忘れた頃にポンッとその話題に触れてきた昨今。その都度、心がぎゅっと痛くなり当時を思い出していた。今回もまた…と思いきや続く言葉に驚きを隠せない。優しさと真面目さ。彼の優しさと真面目さはもう有名な話しですが、ここまでか…と意味もなく泣けてくる。

当時、まだ若い中学3年生。多感な時期にいわゆる挫折を味わったわけですが、経験したからこそ強みになる、ある楽曲に救われたから自分も人を救える存在になりたい、と。痛みを知り糧にして自分自身強くなる。の先に、さらに自分も誰かを救いたいと。そんな存在になりたいと。もう言葉が出ない。アイドルとしてというよりも、もはや1人の人間として尊敬するに値する程。

 

かれこれ数年前の話しですが、ここまで話すのには時間がかかった事でしょう。私も今だからこそ「うんうん」と聞いていられる。話してくれてありがとう。今はこんな気持ちでいっぱいです。

 

侍としてはまだまだと言う大光さん。先を見据え今何をするべきか。何が必要か。きっと大光さんは常日頃からこうゆう事を考えてるんではないでしょうか。そしてここでもまた、彼の優しさと真面目さが垣間見れる。「嶺亜の年と歴を考えたら」「自分が嫌われ役になってもグループが良い方向に進むならそれでいい」。常に自分より人の為、グループの為にと。大光さんが大切にしてる居場所、私もちゃんと応援したいと改めて思った次第です。

 

 

では最後になりましたが、マロくれたたくさんの方々ありがとうございました。自分の想いが正論だと思いません。いや、正解も不正解もありません。たくさんの想いがあるんだろうなとなんだか聞きたくなった所存です。普段あまり同担の方とお話しする機会が無いので、色々な想いを知る事、これも一種の学びだなと。

手を取り仲良く応援しましょう(ハートマーク)なんて可愛い事は言いません。

ただ、大光さんが「人を救いたいという思いが、僕のアイドルとしての根幹にある。」と言ってましたが、既に救われてる方が多くそして自分もそのひとりだったなと改めて気づくのです。

 

はてブにも何度となく書いてきましたが、大光さんの言葉にどれだけ救われた事か。挫けそうな時にふと欲しい言葉をくれる。タイミングを見計らって何かを察したかのように。言葉だけじゃない。パフォーマンスを見ては心揺さぶられ感銘を受ける。私を救ってくれたのは、紛れもなく大光さんです。

 

そしていつか、大光さんを救ってあげたい。万が一、万が一、何かあった時は救ってあげたい。そしてこう投げかけるのです。「大光さんにはたくさんの味方がいるから大丈夫だよ」と。

 

 

この一冊の中の8ページ。これが私にとって揺るがない「根幹」となりました。そして改めて気づくのです。佐々木大光は、自慢の担当だと。

 

 

 (まだ読んでない方は、ぜひ!!!!)

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた。

 

 

7 MEN 侍は人生のターニングポイント~初単独ツアー最終日~

 

『本日はありがとうございました。今日「侍魂」として単独で3都市まわらせていただいて、7 MEN 侍が出来る前までは、夢にも思わなかったです。僕にとって7 MEN 侍は人生のターニングポイントで、7 MEN 侍が出来てから悔しい事とか想像に思ってなかった事もあって、でも、周りを見ればメンバーがいて、上を見ればジャニーさんがいて、前を見ればファンの皆さんがいて。1公演で数万人見せられるように、これからも付いてきてほしいと思います。ありがとうございました!』

 

 

 

 

ツアーオーラス、Zepp大阪ベイサイドで大光さんがファンに向けて話した言葉。今でも頭の中を何度となくリフレインし、目を閉じれば、瞬時にあの瞬間に戻れる。あの時の感動や楽しかった気持ちが蘇る。それはまるで魔法の言葉の様。と同時に、大光さんのこの言葉には、私の6年間が詰まっているなと、勝手ながらに想いを重ねてみたり。

 

「7 MEN 侍ができる前までは、想像してなかった」。確かにそう。クラJを経ての無所時代。次いつ現場があるかなんて分からなくて、今目の前にいる大光さんをただただ必死に応援するしかなくて。未来なんて考えた事無かった。いやむしろ、考えられなかった。そんな余裕なんて無く。ただずっと思っていたのは、必ず大光さんならユニットに入れる。不思議と自信だけはあった。いつか、いつか必ずそんな時代が来るって、信じてた。

 

 

 

「僕にとって7 MEN 侍は人生のターニングポイントで、7 MEN 侍が出来てから悔しい事とか想像に思ってなかった事もあって」。

突然の嬉しい知らせ。そうそれは突然に。まさに大光さんが言う「ターニングポイント」。晴れて7 MEN 侍の結成。「ユニットに入れればゴール」くらい思っていた私にとっては、もう言うことない。と思ってたのも束の間、悔しい事や想像に思ってなかった事が起き。何度心が折れたんだろう。何度悔しくて泣いたんだろう。大光さんの気持ちを考えたら、ファンとして「頑張れ!大丈夫!いつでも応援してるよ!」って言葉をかけてあげたかったけど、そう言ってあげることすら出来ないくらいに心が折れ。泣いてる彼を見ては、どうしたらいいか分からない、何をしてあげたらいいか分からない、って自分が非常に情けなかった。でもそんな時でも、必ず大光さんは「ついてきてほしい」って言ってくれた。真っ直ぐそう言ってくれる大光さんの気持ちが嬉しかった。勝手ではありますが、共に闘ってきた、そんな気持ち。

 

メソメソ泣いてた時代からは想像できないくらい立派に、そして逞しくなったなと。自身のユニットで、ツアーで、ステージに立つ。そんな大光さんを見ては大変感慨深くなる一方。何の迷いもなく、ただただ真っ直ぐ前を見つめる大光さんをみて、私ももう迷う必要はない。心配で心配で仕方なかった少年は、時を経ていつしか大人になった。共に闘ってきたつもりですが、今はもう、先陣切って前に進むその大きな背中に安心してついていける。安堵の気持ちを覚えた。きっと彼なら大丈夫。

 

ある日突然大光さんに降りたわけですが、この子なら夢を叶えてくれるだろうとなんの根拠もなくそう思い、迷う事無く彼を選んだ。13歳だった少年は、20歳の大人になった。見た目も随分と大人になり、心ももちろん成長したのではないでしょうか。でも、変わらずに夢を叶えてくれる。新しい景色をみせてくれる。ずっとずっと新しい景色を見せ続けてくれた。きっとこの先何年も何十年もそうに違いない。必ず新しい景色を見せてくれるに違いない。この気持ちだけは、変わらない。

 

そしてメンバーにも伝えたい。侍でいてくれて、ありがとうと。誰ひとりとして欠けてはいけない。大光さんにとって大切な存在であるように、私にとっても大切な存在。侍が出来た当初はこんな風に思う日が来るなんて正直想像できなかった。ひとりひとりを詳しく知らなかった当時の私がそう思ってしまうのは仕方のない事。でも長い時間を掛け、よりメンバーを知る事により、もう無くてはならない存在に。これはごく自然な流れであった。メンバーが居てくれたから私もここまでついてこれた。嶺亜さん、琳寧ちゃん、克樹、ばなさん、今ぴ。感謝の気持ちでいっぱい。そしてきっと大光さんが辛い時、そっと手を差し伸べたり、言葉は無くともそっと側にいてくれたんだろうなと、思う次第で。

 

7 MEN 侍に出会えた事が、私の人生のターニングポイントです。

 

 

新しい景色をみせてくれて、ありがとう。

7 MEN 侍と痺愛で、またこの地に戻ってこよう。

いや、Zeppもアリーナも武道館もドームも。

連れてってもらおうじゃないか。

 

 

 

 

 

「ちょっと寒い季節にライブをやるって良いですね」と矢花さんが言ってた様に季節が秋へと移ろい、間もなく冬が始まるそんな季節。色々と考え込んでしまうのは、秋の夜長のせいか、はたまた、侍のせいか……。でも心は暖かい。いや暖かいどころではない、何か燃えたぎる、そんな感覚である。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

それは、突然のラブレター。

 

 

 

いよいよ夏も終わりに近づく8月半ば。皆様いかがお過ごしですか。さて、早速ですがポエマー通りますよ。

 

サマステも終わり(サマステの感想はまたいつか)余韻だけで白飯10杯とでも言いましょうか、思い出に浸っているわけで。

 

 

そしてこの先有難いことにドリボ、そして単独、さらには嶺亜さんミュージカル…と続くわけで体力を蓄え次の闘い(大袈裟)に備える期間でもあったり。

 

思い出に浸りつつ次に備える。

そんな中突如訪れたあの瞬間。

 

「最初に聞いた時、僕がファンの方を想う気持ちだな」と、ある曲をラジオで紹介しました。

 

Kis-My-Ft2の「君が大好きだ」

 

まさかこんな形で大光さんがファンに対してどう思っているか、そんな気持ちを聞く事ができるなんて思いもよらず。そうあまりにも突然すぎて、心の準備なんてできる余裕もなく。

 

曲はなんとなく知ってましたが、改めて歌詞を読み解いてみると、もうなんとも言えない感情が込み上げてくるわけで。

 

 

 

触れ合って 生まれる夢がある

僕らは そうやって 繋がって

毎日 泣いたり 笑ったりして

空見て 前見て 歩いてく

 

心のどこかに僕がいるなら

綺麗な思い出になったかな

いつから こんなに傍にいたんだろう

涙が拭けるくらいに

 

ごめんね なんにもしてあげられなくて

いっぱい いつも君に貰ってばかりだな

 

ありがとう 言いそびれて

追いかけても もう遠すぎて

さよならは言わないでおくよ

ずっと君を大好きだ

 

体のすべての細胞が

君への想いで できていて

笑顔を それだけを 守りたくて でも

空回りしてたのかな

頑張れる そんな気がしてた

いつも過去も今も未来も一緒だった

 

全力で走っていた

呼吸が止まってもいいくらい

死にそうになる恋をしたよ

まだ君を大好きだ

 


もしも 時計 戻せるなら

もしも 言葉 交わせるなら

哀しみもきっと この心を強くする

過ぎ行く風は 再生させる この星の仕組み

 

ありがとう 言いそびれて

追いかけても もう遠すぎて

さよならは言わないでおくよ

ずっと君を大好きだずっと君を大好きだ

 

 

ファンとして一体何ができるんだろうなんて何度も何度も考えたりして。今やってる事って意味あるのかなって。自分の為じゃなくて大光さんの為に…なんてただのエゴでしかないんだけど。いつもたくさんの感動を貰ってばかりで、私は何も出来てない。そんな自分がもどかしかったり。なにもできない自分が情けなかったり。ファンってなんなんだろう…って永遠ループ

 

大光さんはいつだってそう、私に何かを与えてくれる。ダンスや歌やドラムをみて深く感動したり心揺さぶられたり。それは目に見えるものだけじゃなく、大光さんの考え方に対してもそう。優しくて根は真面目な大光さんの考え方に色々と教えられたな。若くて私より遥かに年下だけど、いや、年齢なんて関係ない。

 

ありがとうって直接言う機会なんて無いんだけど、でもいつだって伝えたい言葉はこれ。当たり前の様にジャニーズにいて、当たり前の様に現場があって、当たり前の様にパフォーマンスをみれる。でも当たり前じゃない。いつだって感謝の気持ちはあるのに、伝えられないもどかしさ。

 

哀しい事、悔しい事もたくさんたくさんあったな。今きっと辛い状況だろうなと察し、大光さんの気持ちを考えて何度泣いたことか。当時は辛くとも、そんな経験さえも自分の糧にしてきっと強くなったんじゃないかな。と、今だから言える。

 

 

 

 

 

待って。

ちょっと待って。

今私は、私自身の気持ちを綴ったんだが。大光さんに対する気持ちが歌詞とリンクする…

 

 

大光さんが「ファンの方を思う気持ち」として紹介したはずだが…

 

 

 

 

 

つまりはそう。想う気持ちが一緒だったようでして。「君が大好きだ」の歌詞は『大光さんがファンを想う気持ち』と『私が大光さんを想う気持ち』、両者に通づるのであった。なんて考えたらもう胸がいっぱいなわけで。

 

なんの前触れもなく突然渡された、もはやこれは、ラブレター(大袈裟)

 

何のタイミングでこれにしようと思ったかは分かり兼ねますが、ただただ素直に嬉しくて。嬉しいけど、なんだか少し恥ずかしかったり。でもサラッと言ってしまうところが大光さんの良いところ。

 

 

とは言え、こうして大光さんの気持ちが垣間見えると、時よりこんな事を考えてしまう。根は真面目で優しい大光さんだけど、たまに、ごくたまに心配になる事もあったりして。抱えるものが大きすぎるんじゃないかなとか、背負いすぎてないかなとか、いつか何か爆発しちゃうんじゃないかなとか。優しすぎるが故、真面目すぎるが故。

まぁ私の心配なんて余計なお世話なのは重々承知ですが。「それよりやらなきゃいけないことがある!」とガムシャラに突き進む、それが大光さんでしょうか。

 

話しがズレましたね。

 

ここ何年も、嬉しかった事も辛かった事も勝手ではありますが共に共有してきたかな、なんて思うわけで。今回の出来事は、よりリアルに共有できた、そんなところでしょうか。

 

「大光さんの気持ち、教えてくれて、ありがとう。

私も同じ気持ちです。」

 

まぁ簡単に言えばそんなところを、長々と綴ってみたわけで。

 

さぁ、夏も終わり秋に移ろいゆく季節。気持ち新たに邁進したいそんな所存。どうぞ皆様もご自愛ください。ではまたの機会に。

 

 

 

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「8年目も佐々木大光でいつづける」大光さんと、「7年目も大光担でいつづける」わたし。

 

 

 

 

お久しぶりですね。挨拶もそこそこにしてさぁ、冒頭からかっ飛ばしていきましょうか。言いたい事がTwitterの文字数に収まらないので久しぶりにブログに綴っていきましょうか。さ、ポエマー通ります。ご注意ください。

 

 

 

「8年目も佐々木大光でいつづけます」

 

 

ズルい。これはズルい。大光さんの「言葉」に非常に弱い私は、お察しの通り涙腺が緩む一方。

 

 

「狂犬」の名のごとく暴れん坊の一面とは裏腹に、「ジャニーズでいれることに感謝」と、ことある事にそう言ってくれる大光さん。彼の良さが滲み出てるなとそう思うばかりで。根は本当に真面目。真面目で、優しくて、人想い。真っ直ぐで、素直で、感情が豊か。なんて良い子なんだろうってもう何回、何百回と思ったことか。

 

 

「大光さんの好きなところは?」と聞かれたら、「性格」と自信を持って言える。

 

そんな大光さんが「(17歳の頃)ジャニーズを続けるか悩んでいた」ととある雑誌で言ってたのが確か4月くらいかな。衝撃を受けたわけで。17歳、そうね、確かにそうね・・・と思い当たる節があったりなかったり。でも、それは「今思い返せば」の話しであり、当時の私はつゆ知らず。大光さんが悩んでいた時、私は何ができたんだろう、ファンとして何かできなかったのかな・・・と今更考え込んだりして。まぁ、考えても仕方がない。今こうして辞めずに続けてくれたその事実だけを受け取ろう。そう判断してくれた事だけを受け取ろう。辞めずに続けてくれた事に感謝。ただそれだけを言いたい。んなわけで、今年の入所記念日は今までとはまた違う感情を抱いたわけで。

改めまして、入所記念日おめでとう。ジャニーズでいてくれて、ありがとう。続けてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

さて話は変わりまして、時を同じくして「7年目も、大光担でいつづけます」とどっかの誰かが()そう言っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、私です。

大光さんの入所記念日と自分が大光さんに担降りした日って、運命のイタズラか否か、日にちが近いんですよね。故に、入所記念日はついつい思い出に浸りがち(ヲタクあるある)。古いアルバムめくりありがとうって呟くわけですよ。

 

この6年間、悔しい事や悲しい事や辛い事も正直たくさんあったかな。でもそれを忘れるくらい楽しい事や嬉しい事がたくさんあったのは言うまでもなく。

 

そして幾度となく大光さんの「言葉」に救われた事か。真っ直ぐな大光さんから発せられるその言葉は、メソメソしている私の背中をポンっと押してくれる。どストレートに素直に投げかけてくれるその言葉に、どれだけ救われ、励まされた事か。大光さんが私に与える影響は計り知れない。私よりずっとずっと年下でまだまだ若いけど、でもそんな大光さんをただアイドルとして好きって感情よりも、もはや尊敬できるくらい。私にとって、大光さんってそんな存在だったり。

 

大光さんがよく言う「通過点」。それは舞台やライブやテレビの様なお仕事に対してだけじゃない。楽しいや悔しい、喜怒哀楽の私の感情も、いわば「通過点」だったんだなと今更気づくわけで。

 

「通過点」を経験し、必ず次に繋げ、必ず成長する。それが大光さん。私もまた、「通過点」を経験し、大光さんに負けじと成長したい。そんな所存。

 

6年前、当時の彼の夢なんて知らなかったし何の根拠もなく降りたわけだけど、あの時の私の判断間違ってなかったなと。私の夢を若干13歳だった大光さんに託したわけだけど、たくさんの夢を叶えてくれた。たくさんの夢を叶えてくれて、ありがとう。

    

 

 

 

あらやだポエマー加速( )

 

 

 

 

改めまして、入所記念日おめでとう。

 

 

 

 

さて、間もなく5月20日

 

色々な憶測やファンの想いが飛び交っていますが、ただ言える事はひとつ。みんな、みんな大光の味方だよ。大丈夫。

 

いつしかのブログで「俺のファンとか応援してくれる人が、俺のこと好きで味方でいてくれるのって、圧倒的に強いじゃん!」って言ってくれたよね。

 

まぁ、常にじゃなくていいから、たまに、ごくたまにでいいからふと思い出してほしい。みんなが大光さんの味方でいる事を。

 

ずっとずっと大光さんに励まされたり背中押してもらったり、今は感謝の気持ちでいっぱい。知らず知らずのうちに支えてくれたんだな。今度は私が大光さんを支えてあげたい。恩返しがしたい。そんな今日この頃。

 

 

さぁ、間もなく5月20日

 

20代、幕開けです。

 

 

 

では。